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AKBはプロ野球かもしれないし、こじはるはAKBを逸脱しているかもしれない件

このブログの記事傾向から言って、取り上げないわけにはいかない話題、AKB総選挙が先日ありましたね。 その結果等は今さらここでいちいち話すこともないので割愛しますが、個人的には推している松井玲奈が7位に入ったのがちょっとテンション上がりました。どうでもいい話でしたか。

AKB48については、現在色んな人が色んな分析やら感想やらを言っていると思うので、今更ここで話すのも少し勇気がいりますが、AKBのシステムは、私が今一番興味のある、「物語」という論点に置いて、特徴的な事例だと思っているので、今日はそのことについて話したいと思います。

「物語」としてのAKB

まず、「物語」という言葉について。物語とは、文脈、ストーリーとでも言うべきもののことです。今回の選挙で言えば、ブレイク前から前田敦子と共にAKBを引っ張ってきた大島優子と、次世代センターと言われてきた渡辺麻友とのライバル関係。そして「theアイドル」であるその二人に相対する存在としての指原莉乃。または、SKEにおいて干され続けながらも、今回まさかの大躍進を遂げた柴田阿弥。このように、メンバーが応援される上で、彼女たちのバックボーンや、それまでのAKBでのポジションや足跡によって作り出された物語が重要視され、物語に共感した人が「推し」となり、メンバーの人気を形成しているのです。

前回の記事で、サッカー日本代表の物語についての話をしましたが、人が人を認識する上で、物語というものは非常に大きな役割を持っていると言えると思います。

その上でAKBには大量の物語があります。1位は誰か、選抜に誰が入るのか、64位以内に誰が入るのか、SKEなどの地方勢はどこまで食い込むのか、若手の躍進、中堅はどこまで下げ止まれるか、など数えきれないほどの物語が、様々な規模で同時に進んでいます。

さらには、ファンの物語へのコミットの深さも様々です。握手会や劇場に通いつめ、メンバーに顔を覚えられるレベルのファンもいれば、現場には行かないにせよ、ブログやGoogle+を欠かさずチェックしているファン、さらには普段はほとんど興味ないけれど、選挙の結果くらいはチェックする、というライトファンなど、様々なファンとしてのコミットの仕方があり、それぞれに対してAKBに対する物語を形成しており、その中でAKBを楽しんでいると言えます。握手会で「釣られて」しまい推している、運営に干されているのが許せないので推している、指原を1位にしたくないから推している、単純に顔が好みだから推している…前にあげた例は選挙という視点での物語でしたが、ファンの距離感によっても、このように様々な物語が作られうるのです。

 

物語を生み出すシステム

では最初に「AKBはシステム」と言いましたが、システムとはどういうことか。要は、そこに所属する個々人が生み出す物語が、AKBという“装置”によって大量に生み出されているということです。総選挙の中で、以前は前田対大島、今回は大島、渡辺対指原、などのライバルという物語が生まれていますが、それは総選挙というシステムが生まれたことでメンバー同士の比較、格付けが行われることになったから生まれたものです。その他、定期的に新しいメンバーを入れることで世代という概念、SKEなどの姉妹グループを作ることによるチームごとの比較や特徴づけ、AKBに入る時期による「世代」意識、秋元康を頂点とする運営による「推し、干され」など、AKBにまつわるシステムの中に、色んなメンバーが入ることによって、様々な物語が生まれるのです。その際、個々人性格や特徴などの個性による物語も最終的にはシステムによる物語へと吸収されていくのです。

例えばめちゃイケでバカというキャラづけをされた川栄李奈がバカという個性を用いて、BKA48「選抜」という企画で「センター」に入り、「次世代」センター候補として運営から「推され」、「選挙」において躍進を遂げる、という物語はまさに個人の物語とAKBというシステムの物語との関係性を端的に捉えていると思います。

 

プロ野球とAKB

ここまで考えてきて、AKBはプロ野球に近づいてきているとも言えます。野球というスポーツを使ったシステムであるプロ野球と、アイドルという存在を使ったシステムであるAKBの比較です。例えば、巨人ファンは多くの場合、いつまでも巨人を応援し続けます。もし、今坂本のファンの人がいて、その人は坂本が引退、移籍したら巨人ファンを辞めるのでしょうか。プロ野球ファンの割合として、そういう人は少ないでしょう。坂本がいなくなっても、新たに出てくる新人などを応援し、巨人ファンは辞めないと思います。これは、選手が輝く場、システムとしての巨人が受け入れられ、ファンはシステムとしての巨人を応援していると言えます。人気の選手であるほど、「巨人らしい」選手であるという評価を受けます。そこでの巨人らしさとは、これまでに所属してきた、古くは王や長嶋、松井、上原など個々人の持つイメージの積み重ねであるはずです。巨人というものは人ではなく、システムなのですから。これはまさに、選手個人の物語が巨人というシステムの物語に吸収していると言えます。

AKBとの比較をより具体的に言うならば、巨人や阪神などのチームはAKB、SKEなどの本店、支店、そして選抜メンバーはさながら日本代表でしょうか。そう考えると、先日の総選挙が普段AKBに興味を無い人をも巻き込み盛り上がったということも、普段のプロ野球中継には興味の無い人もWBCの試合になると応援する、という状況と同じではないでしょうか。そういう風に考えると、今回の総選挙の視聴率が20%超えしたという事実は、よりAKB=プロ野球的な構造になりつつあると言えるのかもしれません。

 

AKBシステムは完成か

プロ野球が、多少の人気の上下がありつつも、日本においてシステムとして定着したように、AKBもシステムとして完成するのでしょうか。現時点ではまだ完全にシステムとして一周していないため、完成しているかは判断できないと思っています。指原が1位になったとはいえ、いまだに選抜の中心は中堅、ベテランが占めています。AKBブレイク後の世代、いわゆる次世代がAKBのほとんどを占め、それでも今と同じようにシステムが維持できたのならば、個人の物語を吸収するシステムとしてのAKBが完成すると言っていいのではないでしょうか。システムが完成したとき、そこに所属するメンバーの物語すべてが「AKBらしさ」というシステムの物語をより強固にしていき、個人のファンをそのままAKBのファンとして固定させることが出来るはずです。その時、AKBは他のアイドルとの並列よりも一つ上のレベルに達するのではないでしょうか。

 

やや蛇足‐システム逸脱者としてのこじはるはAKBをどう変えるのか‐

と、こんな大層な話をしましたが、まだまだAKBはどうなるかは分かりません。分かったら私が秋元康になっています。そんな中、先日の総選挙のスピーチを観ていて、面白いものを見つけました。

ここからはやや蛇足的な部分に入りますが、非常に興味深いことだったので話します。 それは、こじはること、小嶋陽菜のスピーチです。こじはるは、毎回の総選挙において、速報時には順位が低く、それに対し本人が不安だと発言をすると、最終的に追い上げて選抜に入る、という一連の流れを繰り返していました。今回も例にもれず、同様の展開となり、速報では苦戦し、それに対して不安だとツイートし、それでも最終的には選抜入りしました。それを踏まえて、本人はスピーチで、それ(速報後の不安発言)を「伝統芸」だと自嘲気味にネタにし、笑いを取っていました。

これを観て思ったのは、もはや、こじはるはAKBにおける最も重要なシステムの総選挙の物語から離脱しているのではということです。確かに今回は指原が1位であることを受けて、大島のスピーチなどでも笑いが起こっていましたが、それは、あくまで指原という個人と選挙というシステムの関係性での物語がそういう笑いが起こるものでした。それに対し、こじはるの笑いは、システムの物語に依存していない笑いだったと思います。他のメンバーは全員選挙の順位がひとつ変わるだけでも、それが実際そこまで本人の人気が上がったり落ちたりしているわけではなくても、一喜一憂します。しかしこじはるの場合、別に何位であっても選抜メンバーに入れる順位ならば関係ないという印象を受けました。これはこじはるのキャラクターによるものも大きいとは思いますが、速報の結果が悪く落ち込んでいるということすら伝統芸などと茶化されるということは、総選挙=AKBである上で最も重要なもの、という前提が崩されてしまっているということです。

実際、こじはるは個人としても、雑誌やCM、テレビなど様々なメディアで活躍しており、段々「AKBの」という肩書を必要としなくなっているように思えます。バラエティ番組などでの受け答えを見ても、他のメンバーがAKBでのポジションを前提とした受け答えをしている中(たとえば篠田麻里子の無茶ブリキャラ、自由なキャラはAKBの初期メンバーである、というキャラを前提として機能している)、こじはるはAKB内での立ち位置に関係なく、本人の個性や他のタレントとの関係性に基づいた受け答えで存在感を示しています。 ある意味、こじはるはAKBのシステムを乗り越えた存在になっているのではないでしょうか。それが、AKBというシステムの維持においてどのような意味を持っているのかは正直まだ分かりません。メンバーのAKB卒業後のあり方の試金石になるのか、システムとしての限界を露呈するきっかけになるのか。いずれにせよ、こじはるのスピーチが色んな意味で異質であったのは確かだし、今後の展開という意味でもやっぱりAKBはおもしろいなと思うのでした。