褒めて伸ばすタイプ。

大学生が音楽、笑い、カルチャーなどおもしろそうなことについてお話します。(ドヤア

平成生まれのためのサザンオールスターズ論 その1-A 衝撃、かつ戦略的デビュー

先日、サザンオールスターズが5年間の活動休止から復活。新曲発売、及び全国ツアーを開催することが発表されましたね。

いやあ、めっちゃ嬉しいっす。私、実はサザンファンなんです。ファンクラブも入ってます。中学生の頃にファンになっているんで、ちょうどTSUNAMIの頃ですね、というとミーハー感が出て少し恥ずかしかったりしますが、いずれにせよそんなファンにとって、今回の復活はなんだかんだ嬉しいわけです。

当然、夏のライブも行く気満々なんですけど、一つ問題がありまして。周りの同世代の友人にサザンファンが極端に少ない、ということです。ライブに誘える人がいない。友達が少ないからではありませんよ。いや、そりゃもちろん、平成生まれの世代にとって、サザンは時代が違うというのは分かりますけど、それにしたってもうちょっと興味を持ってもいいんじゃないのかと。 一般的なイメージとしては、TSUNAMI、夏ソング、エロソング、桑田さん以外はよく知らない、みたいな感じだと思います。でも、それだけじゃないんですよ、ほんと。日本人だったら、少しでも音楽が好きだったらサザンを聴かないわけにはいかないし、そもそも、今サザンをリアルタイムで聴けるという事実に感謝すべきレベルなわけですよ。 ということで、今回はサザン啓蒙企画として、平成生まれ、二十歳前後の人たちに23歳が送るサザンに少しでも興味を持ってもらえるように紹介していきたいと思います。

サザンについて語るということは、イコール邦楽シーンを語るということになるのですが、当然サザンがデビューした78年には私は生まれてもいないわけですから、当時の音楽シーンを語れるわけでもありません。なので、現代の邦楽シーン、音楽の受容のされ方と比較しながら当時のサザンの音楽を話して行きます。 また、今からサザンの音楽に触れるには、CDをレンタルするのが一番手っ取り早いので(youtubeには驚くほど音源が無い。ファンのカバーとかはたくさんあるけど。)、アルバムに沿って話を進めていきます。 では、スタート。

 

第1期 (歴史編)勝手にシンドバッド~NUDE MAN 炎上マーケティングのはしり?

1978年、サザンオールスターズは「勝手にシンドバッド」でデビューします。デビュー当初はいわゆるコミックバンド、ネタ的な存在として扱われています。当時はテレビがメディアとして圧倒的な力を持っていて、「ザ・ベストテン」などの音楽番組が世間と音楽の重要な接点でした。サザンはそんなベストテンの「スポットライト」というコーナー、注目アーティストを紹介するコーナーに登場します。新宿ロフトワンからの中継で、短パンにシャツというラフすぎる格好で、観客(サクラだったらしい)に囲まれながら「勝手にシンドバッド」を演奏。当時のお茶の間にとてつもないインパクトを与えたらしいです。ちなみに、この番組で演奏中に歌詞をテロップで表示するようになったのはこの時のサザンが初めてだったようです。

デビュー当初、このベストテンの印象が強かったのか、完全にコミックバンドとして認識されています。それもそうで、短パン姿の大学生が、ふざけた名前の曲を(沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディー「渚のシンドバッド」のパロディ)、めちゃくちゃな早口(当時はそう聴こえていた)で大騒ぎしながら演奏するわけです。ヒットはしたけれど、当然一発屋だと思われていたようです。

しかし、これは戦略だったようです。 「勝手に~」系の曲をもう1曲はさみ、3rdシングルとして「いとしのエリー」を発表します。ど真ん中のバラードであり、サザンがコミックバンドではないことを世の中に知らしめることになります。当時、アーティストはヒットするとその後さらに2曲同じような曲を出すのがセオリーだったようです。その意味でも、3枚目にこのような曲を出したということは、当時からすると掟破りであり、そのことでも世間をより驚かせました。

このデビューの頃の状況を見ると、今でいう炎上マーケティングのようなものを思います。古くはエルビス・プレスリービートルズが初めはこんな低俗な音楽は聴いてはいけないという評価を世間から受けていたように、サザンもこんなのロクな音楽じゃない、という評価を受けながらも、それも含めて世間に認知されていったわけです。現代においても当初のAKBや、最近の剛力さんあたりも使われている手法であり、世間全体に影響を与えるメディアが機能している限り、この手法はある程度使われていくのかなとも思います。

ただ、サザンに勝算があったのは、桑田には「勝手にシンドバッド」も「いとしのエリー」も作れるということでした。デビュー曲に「いとしのエリー」を出しても曲の評価は得たとしても、普通の新人バンドとしてそれなりの受容をされたと思います。それが最初にぶっ飛んだ曲でインパクトを残し、知名度を高めた状態で出すことで、その落差を含めてより効果的に曲、そしてサザンの存在をアピール出来たわけです。 その後、1年にアルバム1枚というペースで作品を発表し、売れたり売れなかったりしながらも、人気バンドとしてのポジションを確立していくのです。

ああ、曲の話をするまでに長くなってしまった。 上で売れたり売れなかったりと言いましたが、サザンほど世間との距離感を考えながら曲を作っているバンドはいないと思います。距離感という話を軸に、次回の記事ではそれぞれのアルバムの聴きどころを紹介していきます。

せっかくなんで最後に記念すべきデビュー曲のライブ映像を。こうやって35年前の曲が少しずつ時代に合わせてアレンジを変えながら歌われ続けていく様を感じるというのもサザンの楽しみ方の一つだと思っています。